年譜
『大林宣彦 戦争などいらない-未来を紡ぐ映画を』 平凡社より |
『大林宣彦メモリーズ』キネマ旬報社 作=長野辰次、編集部より ■参考文献『のこす言葉 大林宣彦 戦争などいらない-未来を紡ぐ映画を』(平凡社)、『ぼくの映画人生』(実業之日本社)、『大林宣彦「ウソからマコト」の映画』(河出書房新社)、『大林宣彦 の映画は歴史、映画はジャーナリズム。』(七つ森書館)、『フィルムメーカーズ 20 大林宣彦』(宮帯出版社)、『A MOVIE 大林宣彦、全自作を語る』(立東舎)、『婦人画報』2007年11月号、『SAY』1987年10月号、ほか。
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- 1938年(昭和13年) 0歳
- 1939年 (昭和14年) 1歳
- 1940年 (昭和15年) 2歳
- 1941年 (昭和16年) 3歳
- 1942年 (昭和17年) 4歳
- 1943年 (昭和18年) 5歳
- 1944年 (昭和19年) 6歳
- 1945年 (昭和20年) 7歳
- 1946年 (昭和21年) 8歳
- 1947年 (昭和22年) 9歳
- 1948年 (昭和23年) 10歳
- 1949年 (昭和24年) 11歳
- 1950年 (昭和25年) 12歳
- 1951年 (昭和26年) 13歳
- 1952年 (昭和27年) 14歳
- 1953年 (昭和28年) 15歳
- 1954年 (昭和29年) 16歳
- 1955年 (昭和30年) 17歳
- 1956年 (昭和31年) 18歳
- 1957年 (昭和32年) 19歳
- 1958年 (昭和33年) 20歳
- 1959年 (昭和34年) 21歳
- 1960年 (昭和35年) 22歳
- 1961年 (昭和36年) 23歳
- 1962年 (昭和37年) 24歳
- 1963年 (昭和38年) 25歳
- 1964年 (昭和39年) 26歳
- 1965年 (昭和40年) 27歳
- 1966年 (昭和41年) 28歳
- 1967年 (昭和42年) 29歳
- 1968年 (昭和43年) 30歳
- 1969年 (昭和44年) 31歳
- 1970年 (昭和45年) 32歳
- 1971年 (昭和46年) 33歳
- 1972年 (昭和47年) 34歳
- 1973年 (昭和48年) 35歳
- 1974年 (昭和49年) 36歳
- 1975年 (昭和50年) 37歳
- 1976年 (昭和51年) 38歳
- 1977年 (昭和52年) 39歳
- 1978年 (昭和53年) 40歳
- 1979年 (昭和54年) 41歳
- 1980年 (昭和55年) 42歳
- 1981年 (昭和56年) 43歳
- 1982年 (昭和57年) 44歳
- 1983年 (昭和58年) 45歳
- 1984年 (昭和59年) 46歳
- 1985年 (昭和60年) 47歳
- 1986年 (昭和61年) 48歳
- 1987年 (昭和62年) 49歳
- 1988年 (昭和63年) 50歳
- 1989年 (昭和64年/平成元年) 51歳
- 1990年 (平成2年) 52歳
- 1991年 (平成3年) 53歳
- 1992年 (平成4年) 54歳
- 1993年 (平成5年) 55歳
- 1994年 (平成6年) 56歳
- 1995年 (平成7年) 57歳
- 1996年 (平成8年) 58歳
- 1997年 (平成9年) 59歳
- 1998年 (平成10年) 60歳
- 1999年 (平成11年) 61歳
- 2000年 (平成12年) 62歳
- 2001年 (平成13年) 63歳
- 2002年 (平成14年) 64歳
- 2003年 (平成15年) 65歳
- 2004年 (平成16年) 66歳
- 2005年 (平成17年) 67歳
- 2006年 (平成18年) 68歳
- 2007年 (平成19年) 69歳
- 2008年 (平成20年) 70歳
- 2009年 (平成21年) 71歳
- 2010年 (平成22年) 72歳
- 2011年 (平成23年) 73歳
- 2012年 (平成24年) 74歳
- 2013年 (平成25年) 75歳
- 2014年 (平成26年) 76歳
- 2015年 (平成27年) 77歳
- 2016年 (平成28年) 78歳
- 2017年 (平成29年) 79歳
- 2018年 (平成30年) 80歳
- 2019年 (平成31年/令和元年) 81歳
- 2020年 (令和2年) 82歳
- 2021年(令和3年)
- 参照
1938年(昭和13年) 0歳
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1939年 (昭和14年) 1歳
1940年 (昭和15年) 2歳
1941年 (昭和16年) 3歳
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1942年 (昭和17年) 4歳
1943年 (昭和18年) 5歳
1944年 (昭和19年) 6歳
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1945年 (昭和20年) 7歳
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1946年 (昭和21年) 8歳
1947年 (昭和22年) 9歳
1948年 (昭和23年) 10歳
1949年 (昭和24年) 11歳
1950年 (昭和25年) 12歳
1951年 (昭和26年) 13歳
1952年 (昭和27年) 14歳
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1953年 (昭和28年) 15歳
1954年 (昭和29年) 16歳
1955年 (昭和30年) 17歳
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1956年 (昭和31年) 18歳
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1957年 (昭和32年) 19歳
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1958年 (昭和33年) 20歳
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- 8ミリ『絵の中の少女』を制作。羽入杏子が出演。
- この頃から、名刺で「大林宣彦 映像作家」と名乗るようになる。
1959年 (昭和34年) 21歳
1960年 (昭和35年) 22歳
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- 8ミリ「木曜日」を制作。
- 大学を中退。
- 月刊誌「小型映画」が企画したイベントで知り合った高林陽一、飯村隆彦と商店街や温泉旅館のコマーシャルフィルムを制作するようになる。
1961年 (昭和36年) 23歳
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- 8ミリ『中山道』を制作。
1962年 (昭和37年) 24歳
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1963年 (昭和38年) 25歳
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1964年 (昭和39年) 26歳
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- 自主映画『Complexe=微熱の玻璃あるいは悲しい饒舌ワルツに乗って葬列の散歩道』
- 新宿紀伊國屋ホールの開館イベントとして「60秒フィルムフェスティバル」を企画
- 16ミリ『Complexe=微熱の玻璃あるいは悲しい饒舌ワルツに乗って葬列の散歩道』
- 新宿紀伊國屋ホールの開館イベントとして「60秒フィルムフェスティバル」を企画」を制作。オープンしたばかりの新宿・紀伊國屋ホールの第一回の催し「フィルム・アンデパンダン」で上映。
- 「セイコー・ジュエルホワイト」で初めて本格的なCMの演出を手掛ける。以後、CMディレクターとして活躍、2000本の作品を演出する。
- 1月28日 娘・千茱萸が生まれる。
1965年 (昭和40年) 27歳
1966年 (昭和41年) 28歳
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1967年 (昭和42年) 29歳
- 自主映画『海外特派員 ある映像作家の場合』
1968年 (昭和43年) 30歳
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1969年 (昭和44年) 31歳
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- 短編PR映画『てのひらの中で乾杯/キリンビールのできるまで』
1970年 (昭和45年) 32歳
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- 16ミリ『海の記憶=さびしんぼう・序』」制作。
- チャールズ・ブロンソンを起用した男性用化粧品「マンダム」のCMを撮影、「う〜ん、マンダム」が流行語に。
- 10月10日 音楽を担当した「すばらしい蒸気機関車」(監督:高林陽一)公開。
1971年 (昭和46年) 33歳
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- 16ミリ『オレレ・オララ』 姉妹編『ジェルミ・イン・リオ』制作
1972年 (昭和47年) 34歳
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- 16ミリ「スタンピード・カントリー」「ハッピー・ダイナノサウルス・アルバム」制作。
1973年 (昭和48年) 35歳
1974年 (昭和49年) 36歳
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- 三浦友和・山口百恵の初共演となったグリコのCMを制作。以後、2人を起用したCMを数多く手がける。
1975年 (昭和50年) 37歳
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- 1月11日 音楽を担当した「最後の蒸気機関車」(監督:高林陽一)公開。
- 9月27日 音楽を担当した「本陣殺人事件」(監督:高林陽一)公開。
- 福岡市能古島で暮らす作家・檀一雄を訪ね、『花筐』の映画化許可をもらう。
1976年 (昭和51年) 38歳
1977年 (昭和52年) 39歳
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1978年 (昭和53年) 40歳
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- 4月29日 出演作『愛の嵐の中で』(監督:小谷承靖)公開。
- 7月22日 『ふりむけば愛』公開。
- 7月23日 ピンクレディーの後楽園球場でのライブ『’78ジャンピング・サマーカーニバル』を撮影
- 11月21日 TBS『人はそれをスキャンダルという』(第1話の監督、第1話から第12話までのオープニングタイトルの演出)放送。
- 12月25日 出演作『ピンクレディーの活動第写真』(監督:小谷承靖)が公開。大林監督が撮った『’78ジャンピング・サマーカーニバル』映像の一部が劇中に使用されている。
1979年 (昭和54年) 41歳
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- 7月14日 『金田一耕助の冒険』公開。
【受賞】ヨコハマ映画祭 新人賞(熊谷美由紀)。 - 8月4日 出演作『ホワイト・ラブ』(監督:小谷承靖)公開。
- 12月22日 製作をつとめた『天使を誘惑』(監督:藤田敏八)公開。
1980年 (昭和55年) 42歳
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- 4月26日 日本語版を監修した『さよならロッキーの仲間たち』公開
- 6月26日 出演作『離婚ともだち』第12話(TBS)放送。
- 11月22日 出演作『ザ・ウーマン』(監督:高林陽一)公開。
- 4月12日 『いい旅チャレンジ 20,000km・御殿場線 パパのウエスタン』(脚本・演出・編集)放送。
- 3月5日 フジテレビ『いい旅チャレンジ 20,000km・清水港線 旅の表情』放送
- 10月 初の単行本『ぼくのアメリカン・ムービー』(奇想天外社)刊行。
1981年 (昭和56年) 43歳
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1982年 (昭和57年) 44歳
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1983年 (昭和58年) 45歳
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1984年 (昭和59年) 46歳
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1985年 (昭和60年) 47歳
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- 3月〜9月「科学万博つくば ’85」政府館で「多様な国土」イベント上映。
- 4月13日 『さびしんぼう』公開。
【受賞】キネマ旬報ベスト・テン第5位、読者選出ベスト・テン第1位、読者選出監督賞、助演女優賞(藤田弓子)/アルジェリア映画祭 グランプリ(作品賞)、脚本賞(剣持亘) - 12月12日 『姉妹坂』公開。
- 高橋幸宏のPV『四月の魚 POISSON D’AVRIL』。
1986年 (昭和61年) 48歳
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- 3月14日 『沢口靖子ドキュメント 少女の時間』(テレビ東京)放送。
- 4月26日 『彼のオートバイ、彼女の島』公開
【受賞】ヨコハマ映画祭 助演女優賞(渡辺典子) - 5月18日 協力した『夢みるように眠りたい』(監督:林海象)公開。
- 5月31日 『四月の魚』公開(撮影は1984年)。
- 10月4日 『野ゆき山ゆき海べゆき』公開。
【受賞】キネマ旬報ベスト・テン読者選出第10位/高崎映画祭 作品賞、監督賞
1987年 (昭和62年) 49歳
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- 7月11日 『漂流教室』公開。
- 8月21日〜23日 観客参加型の舞台「ミステリーナイト・プラザ館の長い夜」(演出、ホテルプラザ)上演。
- 10月 「大連・尾道友好都市博覧会」にて『夢の花 大連幻視行』をイベント上映。
1988年 (昭和63年) 50歳
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- 3月20日〜8月31日「瀬戸大橋架橋記念博覧会」にて『モモとタローのかくれんぼ』イベント上映。
- 3月29日 『日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群』公開(撮影は1986年)。
- 9月15日 『異人たちとの夏』公開。
【受賞】キネマ旬報ベスト・テン第3位、読者選出ベスト・テン第3位、助演女優賞(秋吉久美子)、助演男優賞(片岡鶴太郎)/毎日映画コンクール 監督賞、女優助演賞(秋吉久美子)/日本アカデミー賞 最優秀脚本賞(市川森一)、最優秀助演男優賞(片岡鶴太郎)、優秀主演男優賞(風間杜夫)、優秀助演女優賞(秋吉久美子、名取裕子)/放置映画賞 助演男優賞(片岡鶴太郎)/日刊スポーツ映画大賞 助演女優賞(秋吉久美子)/ヨコハマ映画祭 助演男優賞(片岡鶴太郎) - 9月17日〜25日、10月18日〜27日 舞台『グリース』(演出、東京厚生年金開館)*札幌と大阪でも公演。
- 9月23日 坂上香織のPV『香織の、-わたし ものがたり。』発売。
- 10月22日 協力した『魂遊び ほうこう』(監督:高林陽一)公開。
- 11月30日 『私の心はパパのもの』(日本テレビ)放送。
- KANのPV『BRANCKET』。
1989年 (昭和64年/平成元年) 51歳
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- 7月28日〜30日 観客参加型の舞台「ミステリーナイト 1989・第三の鍵」(演出、ホテルメトロポリタン)上演。*大阪、岡山、福岡でも公演。
- 11月18日 『北京的西瓜』公開。
【受賞】キネマ旬報ベスト・テン第6位/山路ふみ子監督賞/毎日映画コンクール 録音賞(横溝正俊、林昌平)。 - リロイ・ニーマンのPV「NEIMAN’S WORLD JAPAN ’88」。
1990年 (平成2年) 52歳
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- 1月3日 出演作『聖女(マドンナ)は春風にのって』(NHK)放送。
- 4月1日〜9月30日 「国際花と緑の博覧会」にて『地球家族・花地球夢旅行』イベント上映。
- 11月2日 黒澤明監督『夢』のメイキング『映画の肖像 黒澤明 大林宣彦 映画的対話』発売。
- 11月9日 NHK『ふたり』第一部「草の章」放送。
- 11月16日 NHK『ふたり』第二部「花の章」放送。
- 12月8日 出演作『乙女物語 お嬢様危機イッパツ!』(監督:内藤忠司)公開。
- 12月26日 日本テレビ『彼女が結婚しない理由(わけ)』放送。
1991年 (平成3年) 53歳
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- 5月11日 『ふたり』公開。
【受賞】キネマ旬報ベスト・テン第5位、読者選出ベスト・テン第2位、新人女優賞(石田ひかり)/毎日映画コンクール 新人賞(石田ひかり)/ブルーリボン賞 新人賞(石田ひかり)/報知映画賞 新人賞(石田ひかり)/日刊スポーツ映画大賞 新人賞(石田ひかり)/高崎映画祭 作品賞、監督賞、主演女優賞(石田ひかり、中嶋朋子)、助演女優賞(富司純子)/ヨコハマ映画祭 新人賞(石田ひかり)/アメリカ・ファンタスティックサターン賞。
1992年 (平成4年) 54歳
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- 6月11日〜6月26日 舞台「スライス・オブ・サタデーナイト」(演出)上演。
- 6月13日 『私の心はパパのもの』『彼女が結婚しない理由(わけ)』劇場公開。
- 10月25日 WOWOWで『はるか、ノスタルジィ』(ディレクターズカット・WOWOWヴァージョン)放送。
- 10月31日 『青春デンデケデケデケ』公開
【受賞】キネマ旬報ベスト・テン第2位、読者選出ベスト・テン第2位、新人男優賞(大森嘉之)/報知映画賞 新人賞(大森嘉之)。
1993年 (平成5年) 55歳
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- 1月11日 出演作『あの日に帰りたい』(フジテレビ)放送。
- 2月20日 『はるか、ノスタルジィ』第4回ゆうばり国際ファンタスティック映画祭にて公開。
- 2月28日 本多猪四郎監督、死去。
- 7月17日 『水の旅人 -侍KIDS-』公開。
【受賞】日本アカデミー賞 音楽賞(久石譲) - 12月 「星降る里・芦別映画学校」開校。(2012年まで続く)
- ドキュメンタリー “Momentous Events: Russia in the 90s” の「ロシアン・ララバイ」制作(未公開)
1994年 (平成6年) 56歳
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- 4月 広島県三原市の如水館高校の校歌「水のように」を作詞。作曲は久石譲。
- 6月18日 『女ざかり』公開。
【受賞】毎日映画コンクール主演女優賞(吉永小百合)。 - 12月9日 出演作『金なら返せん!』(監督:内藤忠司)公開。
1995年 (平成7年) 57歳
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- 1月17日 阪神・淡路大震災、発生。
- 9月23日 『あした』公開。
- 【受賞】日刊スポーツ映画大賞助演男優賞(植木等)/毎日映画コンクール 美術賞(竹中和雄)
1996年 (平成8年) 58歳
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1997年 (平成9年) 59歳
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1998年 (平成10年) 60歳
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1999年 (平成11年) 61歳
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2000年 (平成12年) 62歳
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2001年 (平成13年) 63歳
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2002年 (平成14年) 64歳
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2003年 (平成15年) 65歳
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2004年 (平成16年) 66歳
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2005年 (平成17年) 67歳
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2006年 (平成18年) 68歳
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- 2月22日 プロデュース作『セイキロスさんとわたし』(監督:糸曽賢志、亀渕裕)公開。
- 4月 尚美学園大学大学院芸術情報学部情報表現学科名誉教授に就任。
- 8月 CANCIONのPV『嘘つき。THE MOVIE』。
2007年 (平成19年) 69歳
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2008年 (平成20年) 70歳
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2009年 (平成21年) 71歳
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2010年 (平成22年) 72歳
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- 3月16日 「大林宣彦監督の旭日小綬章受賞を祝う 大林さん、次の映画は まあだ会」開催。
- 2年ほど前から不整脈を患い、心臓にペースメーカーを埋める手術を受ける。
2011年 (平成23年) 73歳
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- 3月11日、東日本大震災 発生
- 4月 松原愛と聖川湧のPV「愛と湧の歌の旅『ふたりの時計』『東京枯れすすき』」。
- 11月19日 ナレーターを務めた『カリーナの林檎〜チェルノブイリの森〜』(監督:今関あきよし)公開。
2012年 (平成24年) 74歳
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2013年 (平成25年) 75歳
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2014年 (平成26年) 76歳
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2015年 (平成27年) 77歳
2016年 (平成28年) 78歳
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2017年 (平成29年) 79歳
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2018年 (平成30年) 80歳
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2019年 (平成31年/令和元年) 81歳
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2020年 (令和2年) 82歳
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2021年(令和3年)
参照
- Wikipedia 大林宣彦 – https://ja.wikipedia.org/wiki/大林宣彦
- 『大林宣彦メモリーズ』キネマ旬報社
- 『のこす言葉 大林宣彦 戦争などいらない-未来を紡ぐ映画を』(平凡社)
- 『ぼくの映画人生』(実業之日本社)
- 『大林宣彦「ウソからマコト」の映画』(河出書房新社)
- 『大林宣彦の映画は歴史、映画はジャーナリズム。』(七つ森書館)
- 『フィルムメーカーズ20 大林宣彦』(宮帯出版社)